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グリーンベレー株式会社は運送業・家事支援サービス業・保険事業を通して地域に密着し社会に貢献することを目標としています。

TEL. 046-298-2850

〒252-0024 神奈川県座間市入谷5-21-1 ウエストポイント.Tビル2F

先代今昔話ARCHIVE

2007.2.23 
今後のわが国の物流動向

 戦後、全ての物流が少量多品種化しつつ今日に至って居ますが、
この傾向は今後も益々顕著な傾向の侭に推移するものと確信しています。
 現に旧くは自動車部品のミッションやデフ等の大型部品で使用頻度の低い物は
従来全都道府県に在庫されていましたが、現在は国内に1箇所の在庫で充分に対応出来ています。
 またカメラ部品の様にサービス競争の激しい商品も、私達末端の配送業者の努力の積み重ねで在庫部品の集約化が可能に成っています。
 其の上に多くの事情からインターネット等による通信販売の商品も今後増加の傾向に有る事は間違い有りません。 

2007.3.13 
メーカーの意向

   昔の事となるが、オランダのアムステルダムの空港に着いて正面玄関を出た時に
出迎えに来ていたJ航空の管理職に施され正面を見上げた所、
大きな広告でC社(日本では写真機で有名)が複写機を、R社(日本では複写機で有名)が
写真機をアピールしていました。
 案内人の彼は「何か可笑しいですね」と言い、その場は談笑程度で終わりましたが、
帰国後R社の会長と半日位懇談する機会が有り、この件を尋ねてみたら、
広告に関する指示をしたのは会長自身だった。
 理由は「ヨーロッパでは、R社は複写機の宣伝をしないでも販売に差支えが無かった。
 多分C社さんも此処では写真機の宣伝の必要が無かったのでしょう。」との事でした。
 私達物流業者もその辺まで掘り下げて現状を把握して業務に取り組まないといけないと思いました。

2007.3.23 
交通事故

  以前、N通運で事故担当に従事させて頂いた頃の話です。
  第一京浜の入り口付近に於いて、
東京発の路線車(大型トラック)が大阪に向けて出発した矢先に、
緩んで垂れ下がってしまった荷台のロープが、
偶々道路左側を自転車で通行していた40歳位の男性を引っ掛けてしまい、
かなりの距離を引きずり死亡させてしまいました。
 会社の責任に於いて遺族への御詫びに始まり、警察等への報告、
葬儀等の準備まで粛々と手配を進めました。
 御通夜の席での事ですが、ふと気が付くと5〜6歳位の男の子が私の目前に来て、
只、只、押黙ったまま大粒の涙を其の目からポロポロ流して「何か」を私に訴えかけて来ました。
 仕事とは言え本当に辛い一時(ひととき)でした。  
 この事が昨日の事の様に折に触れ頭に蘇るので、
「軽貨物なら比較的大きな事故が少ないのでは?」
と、言う思いが当社設立を決断した大きな要因の一つと言えるでしょう。

2007.4.11
H食品
 

  昭和22年に東大阪市で創業したH食品は昭和40年代に入ると関東地区への進出を計画しました。
 しかしながら東京を中心とした全ての食品問屋は大阪への拒否反応から取引に応じませんでした。
  それでも東京以北への販売を強行したいH食品は独自の販売システムを構築し、従来の問屋に
 頼らない直販方式を推進しました。
  その結果、独自の流通システムを確立し、自社の運送会社、倉庫会社を今でも所有しています。
 だから主要な鉄道幹線の沿線には同社の広告が多く見られたわけです。
  現在ではむしろ問屋スジからの取引要望が寄せられて居る位です。

2007.5.14 
後発企業

 K倉庫(株)総合企画部在籍中にY浜港のD田町に大型の配送センターを計画し荷主の獲得を始めました。
 日本の国策で、まず輸出企業は国営の輸出上屋が有利に利用できる関係から対象外となるので、
あくまでも国内向けのカーゴを重点的に取り込むようにしました。
 其の結果、S売公社の輸入葉タバコ、M越Y浜店の贈答品、(株)K分の県内輸送の為のスペース等が
主たる荷主でした。
 この時、K分の配送は足柄上、下郡方面は毎日の配達は不可能であり、良くて隔日、場合に拠っては中3日と言う日も有りました。
 この条件の中で特にK分側の強い要望は「Aの素」の受注に対しての配達が万一不都合が有ったとして
も、翌日に届ければ大きな問題に成らずに引き取って呉れるが、「A味」は絶対に当日でなければ受け取りを拒否されてしまう、従って後発メーカーの商品には特に念を入れて処理して欲しいとの事でした。

2007.5.21
物流業者の夢

 日本国中の何処からでも、何処へでも、当日出荷された荷物が当日中に配達できないか?
を真剣に考えていた時に、たまたまI忠商事の物流部顧問をされていた人の講演会の中で、
インドの実情として、あの大きな三角形の大陸にニューデリー、カルカッタ、チエンナイ、ムンバイ等、
それぞれに特徴の有る地域と深い繋がりのある都市が菱形の配置に成っている。
 (インドの都市は夫々に中国、日本、オーストラリア、ヨーロッパ、等の交易地として特徴を持っています。)
 これ等の都市から丁度中心に貨物専用の空港を設け、毎日決められた時刻にそれぞれの都市の空港から一斉に飛び立ち、中心の空港に向かい貨物の積み替えを短時間で完了させる。
 航空機の積載量が余った分は、旅客で調整して絶えず100%の効率を目指している。
 「幸いにしてインドの列車事情は余り良くないので、予め旅行者の搭乗予約を取った上で、
此れに貨物を積載し毎日運行している。」
 
(インドの旅行者は中央の空港に設置されている映画館で映画を見て、航空貨物のやり取り等を
待つそうです。)
との話を聞いたので、日本の現状に当てはまらないか考えました。
 当時の日本の航空業界は、全て旅行者(人)の動きを重視して、運行ダイヤを組み上げて居た為、 
毎日10時ー16時の間の航空機の貨物室(全体の2分の1)は全く空に近い状態で運行されている事を
知りました。
 当時の運輸省航空局貨物室へ、殆ど毎日伺って運行の無駄を説明して、現行料金の条件付き引き下げを
陳情すると同時に、一般航空貨物取扱業者の認定をお願いしました。
 幸い当時の航空3社の応援もあり、航空局昼間料金の設定と業者の認定を受けることが出来たので、
午前中集荷したものを当日中に何処へでも配達できる様になりました。
 副作用的に昼間便の貨物運賃が割引され、良い事ばかりでした。

2007.6.11
商業物流の専業社

 米国でU社が個人の物流システムの構築を推進している時に、
 (日本国内ではY運輸が構築)
一方ではFE社が商業物流の最末端の業務に取組んでいました。
(日本国内ではS急便が構築)
 双方それなりに成功し、FE社は最終的に貨物専用機で世界に君臨していたFT社を買収して現在に至っています。
 FT社は日中戦争時に米空軍除隊者で結成された義勇軍FTとして活躍した人達の一部が作った会社で、
ヴェトナム戦争時も物資の供給や撤収時の人員搬送等で活躍し、
この時の活動が大いに評価され一躍有名になり、事業の拡大に繋がっていったと、
当時米国企業のAB社の副社長から聞いた様に思います。
 最後は経営不振に陥り吸収されましたが、FT社の営業部長とは個人的にも親密にして来ました。
 今思えば彼の目には私がゼロファイターに見えていたかもしれませんね。。。

2007.6.18
米国における配送網

 U社と言う会社がアメリカにあり、当時個人宅配で急成長していました。
 自動車メーカーのF社もG社も競ってU社専用車の開発(ウオークスルー車)を行い、
「何時でも注文さえあれば即納車出来る体制を取っている」との話を聞き、
アメリカ大使館に行きU社の情報を調査に行きました。
 しかし資料室で幾ら探しても該当する会社は出てきません。
 困り果てて資料室の女性に聞いた処、
「U社は全て州別に設立され頭に州の名前を入れて調べれば出てくる」と、教えてくれました。
 その通りに調べて行くと、当時は考えられない位 かなり進歩した会社だと思われ、非常に興味を持ちました。
 早速現地にて調査が必要と思いロスアンぜルスに行きましたが、この市は関東地区に匹敵する面積を有しているとのことでした。
 U社のデポは、その広い面積に2箇所しかないのにも拘らず「此れで全てを問題なくカバーできている」との話でした。
 実際にデポを見せて貰ったところ、荷札に銀行のカードを発送人の欄に加圧して印字しているのを見て驚いたが、それがそのまま銀行で運賃が決裁されると聞いて驚嘆したものです。
(昔、日本の飲食店等でも使用されていた「ガッシャン」ってスライドさせるやつですね)
 その上、出庫する車両は全て自動洗車機を通過しないと街へ出られない様なシステムに成っていて、
その徹底した合理主義に大変興味を持ちました。
 本題のU社は皆さんが既にご存知の通り、現在日本ではY運輸が提携してグローバルな展開を進めています。
 またU社は既に独自の航空会社も所有しています。
 当時私が勤務していたS急便でウォークスルー車の導入と自動洗車機の導入を検討したところ、
ウォークスルー車の導入は検討の結果見送られ、(後にY運輸が全面的に導入した)
 自動洗車機も実験的に導入はしたが、急便と名乗る会社だけあって、常に急いでいるらしく
殆どの車両が自動洗車機を避けて走り去って行くので、やはりこれも見送るようになった。
 この頃の運送会社は現在に比べてイメージ戦略やハードの合理化に関して理解を得られないのが現状でした。

2007.6.25 
シベリアランドブリッジ=日本と欧州・中近東間をシベリア鉄道により結ぶ複合輸送の形態を言う。

 イラク戦争の始まる前の中近東は、原油の輸出で経済的に大変豊かな地域でした。
 その為、学校や病院等に日本から多くの物資が送られました。
 しかし現地の港に船が入っても中々陸揚げ出来ずに、
長らく沖に停泊しなければならないのが実情でした。
その為、日本の各商社は新潟港からウラジオストックへ船で送り、
内陸を鉄道で中近東の各国へ到着する様にしました。
コスト的にも安上がりで距離も近くなると言うので大変な成果を収めました。
 日本のウイスキーメーカーで有名なS社が、これに着眼し、
欧州からワインを日本向けに送ったところ、
途中で中身が水に変えられてしまう等、大変なリスクを負ったとの事です。
 現在環境保護の観点から、今又このシベリアランドブリッジの利用が見直されている様ですが、
ロシア国内の治安が比較的安定し始めた事も、利用見直しの要因の一つになっていると言えるでしょう。

2007.7.3
Y運輸の決断

T型フオードが日本に輸入された頃に話は遡りますが、
Y運輸とM越百貨店の取引は、双方想像以上の信頼感で結ばれていました。
 M越百貨店へ高級品を買いに来た当時のお金持にして見ると
「購入した品物の配達に貨物車ではないT型フォードで来てくれる」と言う事が、
当時は大変なステータスで有った訳です。
 時は流れ私が配送業務に携わっていた頃の東京都内の配送料金が
M越は1個¥180ー、T島屋は1個¥360ーとかなりの格差が有りました。
 配送効率から計算すると、M越の方が配送料金以上にメリットがありました。
 その後、様々な時代背景の移り変わり等があり、M越からY運輸に対して
料金を含む条件変更(値下げ)の申し入れがあり、
当時のY運輸二代目社長のO氏は重大な決断を迫られた結果、
永年のM越との取引を断念し、その代わりに此れまで培って来た組織の総力を結集し、
「手から手へ」の精神や動物をモチーフにした「宅○便」等のブランドの確立に始まり、
「運ぶ事」の商品化、また、その細分化をして個人客を対象とした取込みに成功した訳です。
また、この決断の背景には、当時のS急便が多数の小口荷主(月間取引運賃5万円以下の会社)
を対象とした営業展開が大きな成功を収めているのも、決断の要因の一つだったかも知れません。
 Y運輸の「社有車で社員が運ぶ」このスタイルは、今でも他社の真似出来ないスタイルとなっています。
 余談ですが、Y運輸の躍進に広告代理店の最大手であるD通が一役買っているのも業界では有名な話ですね。

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