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グリーンベレー株式会社は運送業・家事支援サービス業・保険事業を通して地域に密着し社会に貢献することを目標としています。

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〒252-0024 神奈川県座間市入谷5-21-1 ウエストポイント.Tビル2F

先代今昔話ARCHIVE

2007.7.23
宅配と商業物流

 かつてS急便は「Y運輸の様な宅配便や、それに類する貨物の配送を行わない」
 「デパートのM越との提携をY運輸が解消したが、その貨物にも手を出さない」
と、豪語していた時代があった様に覚えています。
 その言葉を聴いたS急便の荷主である学習机のメーカーIの経営者が、こう反論していました。
 「私のところの商品も学校等へ大量に納品されるもの、家庭に直接納品されるものと色々ある、
  S急便さんが『宅配便をやらない』と言う事をいつまでも言える筈が無い」と言っていました。
 「が」現実的には既にS急便内において「ぢ」の薬剤で有名な「HD堂」、化粧品メーカーの「P化粧品」、
レンズメーカーの「H」等、集荷先は会社で配送先は個人宅と言う業務がウエイトを占め始めていました。
 「Y運輸の様な」=「個人から個人へ」と言う意味が取り違えられてしまったのか?
 「集荷先が会社なら完全な宅配業務ではない」と後日開き直ったのか?定かではありませんが、
米国においてのU社とF社の関係も、ハッキリした線引きを「敢えて」行わない方式で発展しています。

2007.7.30
アフリカ行き貨物

 世界の殆どの空港からアフリカ各国への貨物の直行便が少なかった頃の話ですが、
どうしても大型空港を経由せねばならない為、配送目的地が以前に英国やフランス等の
どの国の植民地であったかを調査し、その上で「ロンドンのヒースロー空港を中継点にするか」
「パリのシャルルドゴール空港を中継させるか」の選択が必要でした。
 南アフリカにおいて、その国で生まれ育った大統領も出て来る様になった昨今で、
どの程度改善されて来ているのか知りたいものです。
 こう言った観点から見て行くと本当の意味での独立した国、
本当の意味での国際援助と言う事も見えて来るかもしれませんね。。。

2007.8.6
平成19年6月21日テレビ東○を見て

 平成19年6月21日早朝のテレビ東○で、
米国の経済予測の話をしていましたが、
米国の商業物流専門業者のFE社の経営者が、
「現在は若干業績は低下しているが、夏が開けて秋口には業績の回復が見込めるであろう」
との発表を取り上げ、
「米国経済も秋口には回復の基調に載るであろう」
と解説していました。
 未だわが国ではS急便の経営の動向で日本経済の予測までは出来ないことでしょう。
「人様の経費で成り立っている運送業が脚光を浴びる」のが
良いかどうかは意見の分かれるところでしょうが、
「人様の経費で成り立っている業界だからこそ、見えてくる物がある」
のも事実であり、真の数字と言えるのではないかと思います。

2007.8.16
ロンドンヒースロー空港にて

 わが国では、現在でも正式に認可を受けた航空会社の航空機で無いと、営業行為で入国出来ません。
 前回はロンドンヒースロー空港の貨物の取扱について書かせて頂きましたが、
今回はヒースロー空港の当時の輸送システムで驚いた事があったので、少し触れて行きたいと思います。
 貨物の集約所のそばに、当時から見ても旧式と思われる英国空軍の輸送機が、
エンジンを掛けたまま待機しているのを不思議に思い、現地係員に聞いてみると
「日本向け貨物が満載され次第、白ナンバートラック同様の飛行機(=旧式の軍用機等)
でホンコン又はシンガポールまで輸送し、それぞれの空港内で
IATA加盟の航空会社の機体へ積み替えた上で日本へ送り込み運賃の削減を図っている」
との事でした。
 「輸送コストのみを追求する」と見れば非常に効果的だったと言えるでしょう。
 しかし「輸送品質」と言う見地に立つと疑問に思わざるを得ない現実を突きつけられた思いです。
 実際にこの事を今の日本に置き換えて想像して見ると、
「航空自衛隊のOBが自衛隊又は米国空軍の払い下げ輸送機を購入し、
成田や羽田等の日本国内の各空港から貨物が満載になった時点で目的地へ飛び立つ。」
 テレビドラマや小説なら面白いかもしれませんね。。。。。

2007.8.27
ロンドンヒースロー空港内の貨物荷捌き所

 ヒースロー空港内の貨物荷捌き所を見学してて驚いた事がありました。
 貨物の移動時に「ベニヤ板」の上に直接貨物を載せ、フォークリフトで移動させていました。
 日本の場合は貨物を移動させ易い様に また フォークリフトで扱いやすい様に
「パレット」に載せて移動等を行なっています。
 当然ヒースロー空港の扱い方では貨物の破損が多発してしまうのも当然の結果と言えます。
「改善するつもりは無いのか?」関係者に聞いて見たところ、
「作業の改善に付いては絶えず注意している」
しかし「作業員の大半がイタリアからの出稼ぎの人々なので、
大らかなラテン系の人達は、中々細かい指示を聞いてくれない」
とこぼしていました。
 「お遣い物」は立っている時でも地面に直接置かない。
 座っている時は膝の上に載せる。
 この国民性があれば、運送品質に関しては日本が世界を席巻する日も近いと
確信せざるを得ませんでした。          

2007.9.3
S急便K会長との思い出 

東京Sの屋上には皆様の予想を遥かに超えた、
それはそれは立派な和室と日本庭園が有りました。
 会長が東京に来た時は、普通のホテルに泊まらずに
東京Sの屋上に宿泊されるのが常でした。
 前の晩に遅くまで飲んでいても、朝は早く起きて、
1Fのフロアーをウロウロしている事が良く有りました。
 この様な時は、話し相手が私しかいない為、
(早朝は東京SのW社長を筆頭に現場作業へ出るのが常だった為)
(私は「現場作業をする為にS急便へ入社したのでは無い」
 と言う考えから事務所に残っているのが常だった為)
会長と1対1で話しをする機会が多く有りました。
 そういう時の話題の一つに。。。。。
 「日本中を全部探しても、お金を貰えさえすれば、どの様な仕事も
やり遂げてくれる人間は2,800人しか居ない。
 それ以上の人を集めると必ず異議を言い出す人間が出てくる。
 会社を大きくする時に、この問題をどの様に解決していくのか?
が大きな問題ですね。。。。。」  と、言っていました。
 この2,800人が、何を根拠にした数字なのか教えてもらわないうちに
2002年に他界されてしまいました。。。  
 こんな話も良くされていました。。。
 「1事業所に1得意先からの出荷(集荷)が30%を越えて出る様になった場合は、
引き受けを拒否するように指導して欲しい。
 この様な事態になると得意先が当社のシステムの変更迄要求するように成るので。」  
と言っていました。 此れは充分に理解できました。
 他にも此処では書いていない色々な話を会長としたのですが、
それはまた別な機会に書いて行きたいと思います。

2007.9.10 
学歴について

 大企業でも中小企業でも、新卒でも中途採用でもW大の卒業生が入社すると、
新入社員の履歴書を見たW大(○京6大学の内の1校)OBが必ずコンタクトしてきて、
年次、学部、ゼミ、等をクドクド聞いて来る様です。
 挙句の果てに「今晩つきあわないか?(飲まないか?)」等と言って来る傾向が強いようです。
 この正反対?(卒業生が来ても放ったらかし)のOBはR大(やはり○京6大学の内の1校)
の人達に多いらしく、卒業生に関して殆ど無頓着な人達が多い様です。
 又、採用した会社が学校まで調べる様な事はR大に限れば皆無に近いので、
「なんとしても入社したい!と言う時は、R大にしておいた方がいいですよ。」
と○京SのW社長が言っていました。
 ちなみに、W社長はR大の卒業らしいです(笑)
(S急便でも1、2を争う有名人ですから履歴詐称と言う事は無いとは思いますが、
 R大卒業生が発した言葉だと思うと、どうしても笑いがこぼれてしまいます。)
 新入社員の履歴書を見た=個人情報保護法でも最重要の情報に該当するので、今では皆無でしょう。
 会社が学校まで調べるのは=現在では殆どの会社が卒業又は在籍確認をとっている様です。
 今でこそ政治家の学歴詐称や芸能人の年齢詐称等が世間を賑わしていますが、
もしかしたら私の年代では、その手の詐称問題を笑えない人が大勢居るのでしょうか?

2007.9.18
旅客業務の思い出

 S航空の設立(現在のSGL)により、これまで培って来た人脈以外に
航空貨物業や旅客業を通じて更に人脈が広がりました。
 当時は、国土改造論で有名なTK氏とTK事務所、IM氏とその家族、
「お父さんお母さんを大切にしよう!」で有名なSR氏と
SR氏が会長職を勤めるN本S舶振興会等が主な得意先でした。
 この殆どの方々や企業が、どう言う訳か?
「私が直接伺わないと機嫌を損ねる事が多い」
との事から良くお邪魔させていただいたものです。
 そんな業務の中でIM先生の紹介でK内庁の荷物の集荷が出来るようになり、
航空業界内でのトラブルでもTK先生のお力添えで、
何とか業界の中に居残れる事が出来たりと計り知れない効果が有りました。
 中でもIM先生の奥様はIM先生の周辺でも超の付く「嫌煙家」でしたが、
当初お伺いした時から私に対してだけは全面的に喫煙権を認めて貰い、
私の愛用していた銘柄のタバコを買い置いて待っていてくれました。
 これにはIM先生のお嬢様でシャンソン歌手のY子さんも驚いていた位です。
 多分物怖じしない、損得勘定抜きで言いたい事を言う人が、
偉くなり過ぎると周りから居なくなる中で、
私の様な人間が先生方の目には物珍しく見えたのでしょう。。。
 S航空設立当初は先生方がお飲みになるトマトジュースの銘柄まで指定されて
「何様?」と言う気持ちを多分に持っていたものでしたが、
 色々お世話になって行くに連れ「先生様」と言う気持ちに自然となって行きました。
 こんな現金なのは私だけでしょうか?

2007.10.1
機材に対する基本的な取組み

 終戦直後の自動車業界においてタイヤ等の消耗品は配給制でした。
 しかも配給を受けるにも大変な苦労を要する時代でした。
 関東方面の輸送会社では、車は持主である人や企業にとって、
掛け替えの無い財産であり、車両の整備計画も、
その事を基準に作成されていました。
 関西方面の輸送会社では消耗品的な考えが主流だったので、
車両の整備体制も御座なりなものでした。
 関西各社の輸送業者勤務の整備士で
「ドライバー1本を持っていれば事は済む物」
 と豪語していた人も多く居ました。
 従って車両に関して東は財産、西は消耗品、
と言う考え方の相違が混在したまま東海道路線が開始されていた訳です。
 そんな時代を背に私が鹿児島から京阪神に10トン車の運行管理をしていた時ですが、
帰り便の主な貨物はK保田鉄鋼製の耕運機を大阪の堺工場から積んで九州各地へ配送していました。
 荷受人は各地のK保田代理店に成ります。
 荷受の際の点検は非常に厳重で小さな擦り傷でも、うるさく注意されました。
「畑や田んぼで泥にまみれてしまうから、少し位は大目に見てくれても良いだろう」
 と思っても九州の人はうるさいようです。
 K保田の人に言わせると関東の人は、その点は大らかだとの事でした。
 地方毎に配給制に対する統制の取り方に違いがあったのでしょうが、
東海地方中心にして東と西と言う観念を持つ私には想像出来ない事でした。

2007.10.9
関東と関西(1)

 戦前から東京の鉄道貨物の拠点は汐留の貨物駅でした。
 大阪は大阪駅の向かいに有る梅田駅が鉄道貨物の拠点であり、
此れが日本を代表する2大拠点でした。
 一般的には発送貨物のバランスは汐留発40に対して梅田発は60と言われていました。
 此れは日本酒、みかん、等圧倒的に関西方面からの貨物は多く、
東京は消費地で有るために仕方のない事です。
この間の貨物の輸送料金は昭和30年当初は1KG当たり@7.50だと記憶しています、
当時兵庫県の営業基盤としていたN本運送、岐阜に拠点を有していたS濃運輸等がこの鉄道貨物に着眼し、
荷主が夫々貨物駅迄持ち込んで居た物を、集荷に行くサービスを提供し、
毎日の現金支払では無く、得意先に拠っては手形での運賃支払にも応じる等、
従来の国鉄では出来ないサービスを提供する事により、
東海道路線のトラックによる運送事業の拡大を進めたわけです。
当時関東一円の路線業者であった、Y運輸も此れに気付き、やや遅れて大阪へ進出を図りました。    
此れが戦後の日本におけるトラックの幹線輸送の原点でした。

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